陸奥國一の宮「式内社志波彦神社・鹽竃神社(しわひこ・しおがま) HOME blog

鎮座地 〒985-0074 宮城県塩竈市一森山1-1 旧陸奥(陸前)国 宮城郡    
電話  022-367-1611 http://www.shiogamajinja.jp/ 
旧社格等  国幣中社 (現別表神社)   
 陸奥國一の宮
 陸奥國宮城郡 志波彦神社 名神大  
御祭神  志波彦神社:・志波彦大神
 鹽竃神社:  ・鹽土老翁神 ・武甕槌神 ・經津主神
御由緒  しおがまさま 志波彦神社 鹽竈神社 参拝のしおり

 仙台市の北東約十六km、平安の昔奥州へ下向の都人を魅了し、かの松尾芭蕉も訪れ絶賛した「千賀の浦(松島湾)」の側の小高い丘『一森山』の地に両社をお祀りし、長い歴史を物語る境内からは、牡鹿半島・金華山、近くは「日本三景」の一つ「松島」の島々が望まれます。
 松島湾は、暖流と寒流の合流点で、海上の金華山沖は世界三大漁場の一つといわれる魚の宝庫です。
また、約二十八ヘクタール(二十七町歩)の境内は、植物の分布上、学術的にも南北植物の限界として重要視され、「鹽竈ザクラ」・「多羅葉」など地生・栽植あわせおよそ五百種にもおよぶ植物が繁茂しているほか、 キジ・オナガ・ツグミなどの野鳥も多く棲息しております。
 四季折々季の花々が、荘厳な社殿と美しく調和する「一森山」の御神域を、地元民は親しみをこめて「お山」と称し、御社名は全国的にも「しおがまさま」と尊称されております。

 御由緒
志波彦神社
 当神社は、東山道より陸奥鎮守府を兼ねた多賀城国府(九州太宰府と同等の政庁)に入る交通の要所、陸奥国宮城郡岩切村(現在、仙台市宮城野区岩切) 冠川の畔に鎮座され『延喜式内名神大社』として朝廷の尊信ことのほか厚いものがありました。明治四年(一八七一)、国幣中社に御治定され、明治天皇の御思召しにより、明治七年(一八七四)、鹽竈神社の別宮本殿に遷祀されました。その後、国費により社殿を御造営することとなり、昭和九年(一九三四)、現在地に工事を起こし、明
治・大正・昭和の神社建築の粋を集めて竣工、昭和十三年(一九三八)、 御遷座申し上げました。本殿・廻廊・幣殿・拝殿いずれも朱黒極彩色漆塗り、本殿は三間社檜皮葺き流造、拝殿は銅板葺き入母屋造で、昭和三十八年(一九六三)、神門を含め塩竈市の文化財に指定されました。

鹽竈神社
 当神社の創建の年代は明らかではありませんが、武甕槌神と経津主神が陸奥国を平定した時に、両神の道案内をした鹽土老翁神がこの地に留まり、人々に塩づくりを教えたことに始まると伝えられます。

 当神社は、平安時代初期に編纂された『弘仁式』の主税帳に「鹽竈神を祭る料壹萬束」と記され、当時陸奥国より六拾萬参千束の正税が徴収されていた時代に、この様な厚い祭祀料を受けていたことが知られ、陸奥国最大の神社として代々の領主の精神的支えとなっていたと思われます。
 特に伊達家の崇敬は厚く、伊達氏が当地を治めた江戸時代以降明治時代に至るまで、歴代の藩主は、『大神主』として祭事を司るとともに社領・太刀・神馬などを寄進されました。なお、元禄四年(一六九一)に は正一位を贈られ、明治七年(一八七四)、国幣中社に列格しました。
 
 現在の社殿は、伊達家四代藩主綱村公が元禄八年(一六九五)、社殿の 造営計画をたて工事に着手され、九年後、五代藩主吉村公の宝永元年 (一七○四)に竣工しました。別宮・左宮・右宮の三棟の本殿はいずれも三方を勾欄のある縁をまわし、装飾をおさえた木造素木三間社檜皮葺き流造、一方、別宮および左右宮の二棟の拝殿は古風で華やかな様式の 朱漆塗銅板葺き入母屋造と好対照なたたずまいを見せております。さらに、南向きの左宮と右宮、松島湾を背にした西向きの別宮の三本殿と二拝殿の社殿に加え、門(唐門)・廻廊・随身門(楼門)が整然とならぶ 構成は、江戸中期の神社建築としては類例がなく、その歴史的価値が認められ、平成十四年(二〇〇二)に本殿以下十四棟の建物と石鳥居一基が国の重要文化財に指定されました。なお、宝永期以降二十年に一度の 式年遷宮の制度が設けられ現在に至っております。
(神社パンフレットより抜粋)
参拝月日  04/29/2012

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参道入り口の鳥居 別宮拝殿